2011年6月6日月曜日

被災地東北へ



白河でのロケ後に
アシスタントをロケバスで帰して
一人北へ。
仙台へ向かった。


散々、
東北沿岸部、被災地の映像は
TVで見てきたつもりだったが
自分の目で何が起こっているのか
確かめたくなった。





仙台から
気仙沼へ、気仙沼から大船渡へ。

兎に角
海岸線の街はひどい。

やー。ほんとひどい。




街がそのまま、がれきとなってしまっている。
思い出も、人の命も含め、街を丸ごとがれきにしてしまった。

神さまはひどいことしやがるなぁ、と
目の当たりにして心から思ったね。


街がまるごとなくなってしまっている。
がれきの撤去が進んでいる所は、さら地。

本当にここに、
人の営みがあったのか。



























宮古市まで抜けようと
思っていたけれど、

大船渡市で
地元の人と少しコミュニケーションとったら、
前日までの疲れもあり、
なんだか、気が滅入ってしまった。

覚悟というか、
なんでここの写真撮っているのだろうと
自分自身に疑問を持ってしまった。


職業上の性として、いい写真を撮りたいという
衝動には常に駆られているが、
それは、こういう悲惨な現場を前にしても発揮される。


海岸線を
北上しならがら、カメラを構えていると
どんどん悲惨な現場を探す。


なんだか、
移動して撮影しながら、だんだんとここに住んでいる人、
はたまた、いた人の事を思うと、いたたまれなくなってしまった。



東京から
ずかずかとやってきて

写真だけをぱぱぱと撮って、
やぁ、ひでえ有様だなぁって去ってゆく。


心持ちは勿論そんな気分じゃ毛頭ないんだけど
なんつーんかなぁ。

まあ、被災地に赴いて撮影するっつー
覚悟がキマッテなかったのかも、と。


記者じゃあるまいし、
この悲惨な現状を多くの人に伝えたいなんて
大義名分は私にはない。

本能が
残しておかないといけないと
思ったのは事実ですが、
途中から何だかよく分からなくなってしまったのです。


なんで俺は撮るんだ、なんで撮るんだと
後半はそんな自答が
頭の中で繰り返していました。



津波から2ヶ月経っても
それくらい
ひどい有様だったのです。





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