2010年7月31日土曜日

生きる


本日、
正確には7月30日
午前8時36分に、俺たちの宝物の
福居剛が天に召された。


最初の脳腫瘍摘出から6年も生きた。
よう生きたよ。

今回の入院も危機は感じたけれど。
報を受けた時、まさか、と、
そんな筈はないと、

彼はいつも
スーパーヒーローのように、
幾度となく訪れた危機を強靭な体力と人並み外れた気力で跳ね返して
挽回してきたから、どこか楽観的に感じてしまっていたよ。


フックの生きたいという渇望が
ありありと感じれて、本当に理不尽でならない。



フック、前回、2年前の退院の時。
(僕、フック、拓実くん)

この時は、僕もへなちょこ右手首骨折&手術で、
フックの入院先の東京医大にお見舞い行ってた。

骨折した時、僕もそこで手術すれば、通院がてら
フックの顔も見られるわと、
結構な頻度で見舞えてたな。

骨折なんて時間が経てば勝手に治るけど、
フックの病はそんな簡単なものじゃなかった。




とにかく、
日芸時代の俺ら写真馬鹿野郎どもと、
フックの関係は本当に濃かったな。
今になって、本当にフラッシュバックしてくる。

たぶん書いても書いても、書ききれないから
フックとの思い出は、
またお葬式でみんな集まった時にする話とする。


健康な体をもって、
フックが大好きだった、
”写真”に携われてる俺らは本当に幸せなんだな
と、息をしなくなってしまったフックとさっき対峙してみて
つくづく噛み締めた。

フックは俺よりも先に天国へ行ってしまったけれど、
まだ、命を戴いて生かさせて頂いている内に、
とことん福居剛の分まで
”写真”をやってやろうと思った。

今までも、
誰よりも全力で人生かけて"写真"を取り組んでいたつもりだった、
けれど、
もっともっとシャッターを切っていられる事に
感謝しなければ駄目だと。





福居家の寛大なる、ご了承を得て、
本当に最後の福居剛を8x10inで撮影させて戴いた。

ピントグラスをルーペで覗いている時に
緊張でか、ピングラ上でまつげが揺れていて、
今にもまぶたを開きそうで、

ハッとした。

ピントを合わせるのに
こんなに緊張したのは人生初だ。

deardorffのピントノブもあんなにぎちぎちに締めたのも
始めてだった。



写真にして、どこか、落ち着いた。
福居剛の死を、受け止められた。

そんな、錯覚を覚えた。



写真行為が確実に肉体化してきている、
俺たちの福居が教えてくれた。

福居剛は僕たちみんなの宝物です。





福居剛さんの、お葬式は8月2日(月)です。

日芸同級生、仲間内には、既に連絡網が回っていると思います。
さ、気持ちよくみんなで天国に送り出してやんぞ!!


P.S
それから、福居剛氏の通夜、告別式にて、
福居さんの写真展を行いたいと思います。

同級生その他、福居さんのお知り合いで、どれだけこのblogを読んで
戴いているか分かりかねますが、福井剛さんが写った写真をお持ちの方
いられましたら、連絡戴けますか。
小林大輔 d@kobaphoto.com
もしくは、太田拓実せんせい、たっぺいでも大丈夫です。

ご協力、宜しくお願い致します。

同窓生諸君!
日芸写真学科の底力の見せ所ですよ!!!


本当に写真が好きだった、福居さんを
写真で見送ってやろうじゃありませんか。







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